自分がレイラック滋賀に在籍していた頃と、J3クラブとなった現在。
同じクラブでありながら、見える景色は大きく変わった。
僕が選手としてプレーしていた当時、レイラック滋賀という名前は、今ほど滋賀県内で広く知られていたわけではなかった。
ホームゲームの観客数も、自分の記憶では平均すると200〜300人程度。
スポンサーの冠マッチなどで1,000人近く来場していただいた日は、選手としても「今日は本当にお客さんが多いな」と感じたことをよく覚えている。
それが今では、1,000人を超えることは珍しくない。
3,000人、4,000人という観客がスタジアムを訪れ、8,000人を超えるような試合も生まれている。
自分も今は一人の観客として試合を見ることがあるが、その景色を見るたびに、「本当にクラブは大きくなったんだな」と感じる。
彦根市からの大きなバックアップもあり、クラブの認知度は以前とは比べものにならないほど高まった。
今では滋賀県内で「レイラック滋賀」と言えば、知っている人の方が多くなっているのではないかと思うほどだ。
ただ、変わったのは観客数やカテゴリーだけではない。
選手を取り巻く環境。
試合の質。
クラブの組織。
地域との関係。
そして、選手に求められるもの。
JFL時代を知る一人の元選手として、今のレイラック滋賀を見て感じる変化を、今回は書いてみたい。
自分が在籍していた当時のレイラック滋賀
自分がプレーしていた頃の環境を振り返ると、恵まれていた部分もあれば、決して十分とは言えない部分もあった。
まず一つは練習環境だ。
当時も人工芝でのトレーニングが中心だった。
人工芝には天候に左右されにくいなどの良さがある一方で、選手としては天然芝と比べて身体への負担を感じることもあった。
連日のトレーニングになると脚へのダメージが蓄積しやすく、コンディション管理にはかなり気を使っていた記憶がある。
そして、クラブハウスやシャワー設備が整っていたわけでもない。(ここはまだ改善できていない部分でもある)
練習が終われば、自家用車の中で着替えて帰る。
今振り返れば、カテゴリーとしては全国リーグを戦っていても、環境としては決してプロクラブとは言えない部分も多かった。
そんな中、途中から草津市の「水春」さんがスポンサーになってくださり、選手が無料で入浴できるようになった。
これは本当にありがたかった。
練習後にしっかり身体を温め、リカバリーができる。
今では当たり前に聞こえるかもしれないが、当時の自分たちにとっては本当に大きな支援だった。
今でも感謝している。
午前はサッカー、午後は仕事。それが当たり前だった
当時は、サッカーだけの収入で生活できる選手はほとんどいなかった。
午前中にトレーニングを行い、午後からそれぞれ仕事に向かう。
それが普通だった。
自分も大学を卒業した1年目は、午前中に練習をしてから、午後は特別養護老人ホームのスタッフとして働いていた。
勤務時間は14時から22時。
午前中に身体を追い込み、そこから仕事に向かう生活は、正直かなりきつかった。
肉体的にもそうだし、精神的にも簡単ではなかった。
それでも「サッカーを続けたい」という気持ちがあったから、毎日の生活を回していた。
2年目からはレイラック滋賀のサッカースクールコーチとして仕事をさせてもらえるようになった。
サッカーに関わる仕事をしながら選手としてプレーできる。
今振り返ると、他の選手と比べてもかなり良い環境を用意していただいていたと思う。
改めて、クラブには感謝している。
また、当時は毎年所属選手は半数以上が入れ替わることもあり、クラブ運営に関わるスタッフも含めても、今ほど多くはなかった。
少ない人数で、チームを運営しながら全国リーグを戦っていた。
それが、当時のレイラック滋賀(旧MIOびわこ滋賀)だった。
J3クラブになって最も変わったと感じること
J3に昇格して、最も分かりやすく変わったのは「クラブを取り巻く環境」だと思う。
まず試合環境。
自分たちが在籍していた頃は、東近江市の布引グリーンスタジアムを主なホームスタジアムとして使用していた。
布引のピッチコンディションは本当に素晴らしかった。
当時、JFLの中でもトップクラスと言われるほど芝の状態が良く、選手としても良いピッチでプレーできることにありがたさを感じていた。
一方で、収容人数には限りがあり、照明設備もなかった。
そのため、真夏でも暑い日中に試合を行うことがあった。
選手にとっても、観客にとっても簡単な環境ではなかったと思う。
現在は彦根市の平和堂HATOスタジアムがホームとなり、景色は大きく変わった。
収容人数は大幅に増え、ナイターゲームも開催できる。
夏場に照明の下でプレーできるだけでも、選手の負担は大きく違う。
何より、多くの観客が入ったスタジアムで試合ができる。
これは選手にとって本当に大きいと思う。
注目度と「プロとして戦える環境」
もう一つ大きく変わったのは、クラブへの注目度だ。
テレビなどのメディアで取り上げられる機会も増えた。
地上波やDAZNでレイラック滋賀の試合や情報を見ることができる。
かつて選手としてプレーしていた自分からすると、これはかなり感慨深い。
そして、外から見ていても、クラブ運営に関わるスタッフの人数は明らかに増え、組織として厚くなっているように感じる。
選手の契約形態も変わり、現在はサッカーに集中できる環境が大きく整ってきている。
自分たちの頃は、練習が終わればそれぞれ仕事へ向かっていた。
今はサッカーを仕事として、一日のほとんどを競技に使える。
この差は本当に大きい。
休養。
食事。
身体のケア。
映像分析。
個人トレーニング。
サッカーに使える時間が増えれば、それだけ選手として成長する可能性も広がる。
クラブがカテゴリーを上げるということは、単にリーグ名が変わるだけではない。
選手の日常そのものが変わるということだ。
J3になってピッチ上で感じる変化
当然ながら、対戦相手の質も変わった。
以前から名前を知っている選手や、上位カテゴリーでプレーしてきた知名度のある選手が普通にJ3のピッチにいる。
一人ひとりの技術、判断、強度。
どれを取っても、簡単には勝てないカテゴリーだと感じる。
戦術面も同じだ。
一つの形だけで90分を戦い切れるほど単純ではない。
相手によってプレスのかけ方を変える。
ビルドアップの立ち位置を変える。
試合の途中でシステムを変える。
交代によって役割を変える。
より細かな準備と、試合中の修正力が求められる。
それでも現在のレイラック滋賀の選手たちは、個人の質という部分でもJ3の中で十分に戦えているように見える。
そして昔から感じていることだが、レイラックの選手はよく走る。
走力があり、ハードワークを続けられる。
そこに技術や戦術理解が加わっているからこそ、現在上位争いに食い込めているのではないかと感じている。
クラブを取り巻く人たちも大きく変わった
クラブの成長を最も感じるのは、ピッチの外かもしれない。
自分が在籍していた頃、ゴール裏で声を出して応援してくださるサポーターは10人前後だった記憶がある。
もちろん人数は少なかった。
それでも、声量は人数以上だった。
アウェイにも来てくれる。
どんな状況でも声を出し続けてくれる。
選手として、その応援には何度も助けられた。
今、スタジアムへ行くと、ゴール裏には毎試合100人近いサポーターがいる。
その景色を見るだけでも、「本当にここまで来たんだな」と感じる。
スポンサーも増えた。
スタジアムグルメも、当時は1店舗、2店舗ということもあったが、現在は多くの店舗が出店し、試合そのものだけではなく「スタジアムへ行くこと」を楽しめる空間になっている。
サッカーの試合を中心に、人が集まる。
家族が来る。
子どもたちが来る。
スポンサー企業が関わる。
地域のニュースになる。
これこそ、プロクラブになった大きな変化だと思う。
それでも変わっていない「レイラックらしさ」
ここまで変わったことを書いてきた。
でも、一番嬉しいのは、変わっていないものもあることだ。
それはファン、サポーターとの距離感だと思う。
昔から応援してくださっていた方の多くが、今もクラブを応援している。
自分が試合を見に行けば、今でも声をかけてくださる。
「久しぶり」
「元気にしてる?」
そんな何気ない会話がある。
クラブの規模が大きくなり、観客が増えても、このアットホームな空気は残っている。
これはレイラック滋賀の大きな魅力だと思う。
だからこそ、自分はJ3に上がれて本当に良かったと感じる。
昔から応援してくれていた人たちが、Jリーグの舞台でレイラック滋賀を応援している。
その景色を見るだけで、選手として在籍していた時間にも意味があったように感じる。
元選手として、今のレイラック滋賀に思うこと
もちろん、J3に昇格したから目標達成ではない。
むしろ勝負はここからだと思う。
クラブは今、J2昇格というさらに高い目標に向かって取り組んでいるはずだ。
カテゴリーが上がれば、求められるものもさらに高くなる。
選手の質。
クラブの組織。
スタジアム。
育成。
スポンサー。
地域との関係。
すべてを少しずつ成長させなければならない。
選手にとっては、移籍や契約など、よりシビアな世界にもなっていく。
それもプロクラブとして成長していくためには避けられない部分だと思う。
それでも、自分がプレーしていたクラブが、ここまで大きくなったことは素直に嬉しい。
今、自分は選手としてではなく、外からレイラック滋賀を見る立場になった。
だからこそできることもあると思っている。
試合を見て感じたことを伝える。
戦術を解説する。
クラブの魅力を発信する。
そして、一人でも多くの人にレイラック滋賀というクラブを知ってもらう。
それが今、自分にできることの一つだと思う。
これからレイラック滋賀がどこまで大きくなっていくのか。
J2へ。
そして、その先へ。
元選手として、一人の滋賀のサッカーファンとして、その成長をこれからも見続けたい。
そして「レイラック滋賀」という名前が、さらに全国へ広がっていくために。
微力ではあるが、自分も「嘉茂の視点」から、その魅力を伝えていきたいと思う。
次回:レイラック滋賀の試合を見るとき、元選手が注目する5つのポイント


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